大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和40年(う)395号 判決

控訴人 検察官

被告人 佐藤一郎 外二名

弁護人 遺水裕四郎 外二名

検察官 柏木忠

主文

原判決中被告人三名に関する部分を破棄する。

被告人佐藤一郎を判示第一の(一)の事実につき罰金三、〇〇〇円、同(二)の事実につき罰金三、〇〇〇円、被告人太宰常治、同梶川武を罰金五、〇〇〇円に各処する。

被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、各金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用(国選弁護人佐久間貢に支給した分)はこれを四分し、その一を被告人太宰常治の負担とし、当審における訴訟費用中証人鈴木寛二に支給した分はこれを三分し、その二を被告人佐藤一郎、同太宰常治の負担とする。

理由

(控訴趣意)

本件控訴趣意は大河原区検察庁検察官事務取扱検事渡辺寛一名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

(当裁判所の判断)

控訴趣意(事実誤認と審理不尽)について

原判決が、本件各公訴事実の本犯である原審相被告人佐藤亀八郎、同相原禅に対する各賭博開張図利の公訴事実については、いずれも有罪と認定判示したが、その幇助犯として起訴された被告人三名に対する本件公訴事実、すなわち

第一、被告人佐藤一郎は

(一)  昭和三八年八月六日頃原審相被告人佐藤亀八郎らが白石市福岡長袋字山の下三番地熊谷良子方において、賭場を開張し、佐々木春蔵外一〇名位の賭客を誘引し、花札を用い俗に「アトサキ」と称する賭銭博奕をさせて寺銭名下に金銭を徴収して利を図つた際、その情を知りながら、開張者側関係者の輸送、賭客の誘導案内をして、右佐藤亀八郎らの右犯行を容易ならしめてこれを幇助した

(二)  同年一〇月中旬頃、原審相被告人佐藤亀八郎らが同市半沢屋敷九九の一番地渋谷アパート内原審相被告人相原禅方二階において、賭場を開張し、西塚策郎外一〇数名の賭客を誘引し、花札を用い俗に「アトサキ」と称する賭銭博奕をさせて寺銭名下に金銭を徴収して利を図つた際、その情を知りながら、前同様の行為をして右佐藤亀八郎らの右犯行を容易ならしめてこれを幇助した

第二、被告人太宰常治、同梶川武は同年八月六日頃前記熊谷良子方において前記第一、(一)記載のように原審相被告人佐藤亀八郎らが賭場を開張し利を図つた際、その情を知りながら、賭客の案内、接待、見張をしてその犯行を容易ならしめてこれを幇助した

という事実に対しては、いずれも、被告人らにおいて、右公訴事実にあるような行為を担当したこと、そしてその際多分賭博が行なわれるであろうということは知つていたものと認めることができるが、それ以上の本犯佐藤亀八郎らの賭博開張図利の所為、目的についての認識があつたという点については、被告人梶川についてはこれを認める証拠がなく、被告人佐藤、同太宰については、被告人佐藤の検察官に対する昭和三九年六月一〇日付供述調書、被告人太宰の検察官に対する同月一六日付供述調書のほかには証拠はなく、しかも右各供述調書におけるこの点に関する供述部分は、いずれも採用できないから結局同被告人らについても、この点の証拠がないとして、被告人ら三名に対し無罪を言い渡したものであることは所論のとおりである。

ところで、原判決が本犯佐藤亀八郎、相原禅に対する有罪判決において挙示する証拠および被告人佐藤の司法警察員に対する昭和三九年六月八日付供述調書二通((甲)、(乙))、被告人太宰の司法警察員に対する同月一一日付、同月一四日付(甲)供述調書、被告人梶川の司法警察員および検察官に対する各供述調書ならびに当審における証人佐藤亀八郎の証言によれば、本件各公訴事実のように本犯佐藤亀八郎らの賭博開張図利の所為があつたこと、本犯佐藤亀八郎がその各賭博場において自らも賭博をなしたこと、被告人らがそれぞれ本件公訴事実にあるような行為をなしたこと、その際被告人らはそれぞれその賭博場において賭博が行なわれるであろうことを知つていたこと、以上の事実が認められるのである。

そこでまず被告人らが本犯佐藤亀八郎らの賭博開張図利の所為を知つていたかどうかの点について検討する。記録および当審証人鈴木寛二の証言によれば、被告人らはいずれも松葉会白石地区の会員であり、同会はいわゆる暴力団といわれているものであつて相当多数の会員をもつていること、松葉会白石地区支部長は本犯佐藤亀八郎であつて被告人佐藤一郎はその実弟であり、右松葉会会員としても同人の弟分となり、また被告人太宰、同梶川は同会内においては本犯佐藤亀八郎の若衆の立場にあるものであること、本件公訴事実の本犯の所為が右松葉会を利用して行なわれたものであろうこと等は、おおむね検察官所論のとおりである。しかし、他面記録によれば、本犯佐藤亀八郎、相原禅が松葉会に加入したのは昭和三七年一〇月頃であつて、当時同会白石地区支部長は佐藤洋一郎であつたところ、同人が同年一二月頃強盗罪により逮捕され、その後その罪により服役するようになつたため、本犯佐藤亀八郎が右支部長となつたものであること(八九二丁、九一九丁)が認められることからすれば、本犯佐藤亀八郎が自ら自由に白石地区において賭博場を開張し得るようになつたのは、その後のことに属するものと思われる。また記録によれば、本犯佐藤亀八郎が賭博を覚えはじめたのも本件公訴事実第一の(一)の時点からはさほど古いものでないこと(五七五丁)、同人は昭和三九年四月一四日大河原簡易裁判所で賭博罪により略式命令で罰金一〇、〇〇〇円に処せられたのが唯一の賭博に関する前科であること(一〇一五丁、一三九丁)等が認められ、以上の諸事実と記録にあらわれた捜査の経過等を総合し検討すると、本犯佐藤亀八郎が本件以外に自ら賭博開張図利を行なつた事実があると認めるに足る証拠はないのである。さらに記録によれば、被告人らはいずれも賭博には関心が薄く、本件公訴事実当時は賭博ないしは賭博場等に関する知識も少なかつたものであつたばかりでなく、本件公訴事実の賭博開張図利の点については本犯の者らから知らされていたわけでもなく、本犯の者らからの指示命令により行動したに過ぎず、その行動範囲も制限されていたものであることが窺えるのであつて、これと前記本犯佐藤亀八郎の賭博歴が浅く、かつ賭博開張図利の前歴も証拠上これを認められないこと等を合わせ考えれば、被告人らが本件各公訴事実当時、本犯の各賭博開張図利の所為を知つていたものと断定するのはちゆうちよしないわけにはゆかない。各被告人らの司法警察員に対する各供述調書、被告人佐藤の原審第二回公判廷および当審公判廷における供述、被告人太宰、同梶川の原審および当審公判廷における各供述に対比し、所論指摘の被告人佐藤、同太宰の各検察官に対する供述調書の供述部分、原審第一回公判調書中被告人佐藤の供述調書における供述はたやすく信用し得ないものである。また記録によれば、被告人佐藤は本件公訴事実後の同年一二月頃本件公訴事実第一の(二)のアパートにおいて行なわれた賭博の際、その賭博場に入つて見ようとしたところ佐藤亀八郎から、お前が賭場に顔を出してはまずいから帰れといわれアパートの入口前に停めていた車の中で待つていたことが認められるのであるし(七九九丁)、原審相被告人遠藤正男は右賭博場および本件公訴事実の二個の賭博場に出席していること(七八三丁裏)等を思えば右遠藤正男の司法警察員に対する昭和三九年六月一二日付供述調書における供述部分もたやすく信用することはできない。なお所論指摘の被告人梶川の検察官に対する供述調書、同被告人の行動の如きは、本件公訴事実当時における同被告人の賭博に関する知識、関心の度合、本件公訴事実の賭博場における行動範囲等が前記のようなものであるところからすれば、同被告人が本件公訴事実の本犯佐藤亀八郎らの賭博開張図利の所為を知つていたと認定する資料としては足りないものといわなければならない。以上要するに記録を精査し当審における事実取り調べの結果に徴し、かつ本犯佐藤亀八郎の賭博歴が浅いこと、賭博開張図利の前歴が証拠上認められないこと、同人および被告人らの白石地区の松葉会会員としての経歴、地位等諸般の事情をも総合し勘案すれば、被告人らが本件公訴事実の各幇助行為をなした当時本犯の各賭博開張図利の所為を知つていたものとは断定できないものというべく、原判決が前記のように証拠の取捨選択および証拠価値の判断をして被告人らが本犯の賭博開張図利の所為を知つていたとの点は認定できないと判示したのは結局正当であつて、この範囲においては、原判決には所論のような自由心証主義の範囲を逸脱し、経験則に反した心証形成をして事実誤認の誤りを犯したものとは認められない。

よつて進んで原判決がこの点において直ちに被告人らを無罪とした当否につき検討する。おもうに賭博開張図利の幇助罪はその本犯の性質上賭博の幇助を包含するものであるから(大審院大正九年(れ)第一四九九号、同年一一月四日判決、大審院刑事判決録第二六輯七九三頁参照)、同一の日時場所で同一人らにより同一の方法によつて行なわれた賭博開張図利を幇助したという罪とその者らが行なつた賭博を幇助したという罪とは基本的事実関係を同じうしその間には公訴事実の同一性が存するものというべく、したがつてこのような場合には、たとえ幇助者が本犯の賭博開張図利の事実を認識していなかつたとしても本犯らが行なつた賭博の事実を認識していたとすれば、少なくとも軽い賭博幇助の罪責を認定することができると解すべきであつて、しかも本件のような事案においては、この場合に訴因変更の手続を経ないでこれを認定しても毫も被告人らの実質的防禦を害することはないといつてよいところ、本犯佐藤亀八郎は自らも本件各賭博場において賭客と共に賭博を行なつたことが認められることは既に説明したとおり証拠上明らかであり、しかも被告人らが右賭博行為を幇助したと認めるに足る証拠の存することは後記認定のとおりである本件においては、原判決が前記冒頭のように判断しながら右の点につき審理判断をしないで、単に本犯の賭博開張図利の所為を知つていたとの点につき証明がないとして直ちに無罪を言い渡したのは、審理不尽もしくはこれに基づく事実誤認の違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決中被告人らに関する部分は破棄を免れない。論旨はこの限度において理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三七九条、三八二条により原判決中被告人三名に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書により被告人ら三名に対し当裁判所においてさらにつぎのとおり判決する。

(当裁判所の判決)

〔罪となるべき事実〕

第一、被告人佐藤一郎は

(一) 昭和三八年八月六日頃、原審相被告人佐藤亀八郎らが宮城県白石市福岡長袋字山の下三、熊谷良子方において、賭博場を開張し、佐々木春蔵外一〇名位の賭客を集め自らもこれに加わつて花札を使用して金銭を賭け、俗にアトサキと称する賭博を行ない、寺銭名義で金銭を徴収して利を図つた際、右開張者側関係者の輸送、賭客の誘導案内をして佐藤亀八郎らの右犯行を容易ならしめてこれを幇助し

(二) 同年一〇月中旬頃、前示佐藤亀八郎らが、同県同市半沢屋敷九九の一渋谷アパート内原審相被告人相原禅方二階において、賭博場を開張し、西塚策郎外一〇数名の賭客を集め自らもこれに加わつて、前同様の方法による賭博を行ない、前同様の方法で金銭を徴収して利を図つた際、前同様開張者側関係者の輸送、賭客の誘導案内をして佐藤亀八郎らの右犯行を容易ならしめてこれを幇助し

第二、被告人太宰常治、同梶川武は、前示佐藤亀八郎らが、前記第一の(一)記載の賭博開張図利行為を行なつた際、それぞれ賭客の案内、接待、見張をして佐藤亀八郎らの右犯行を容易ならしめてこれを幇助し

たものであるが、被告人らはいずれも前記犯行に際し佐藤亀八郎らが賭博を行なうものとの認識のもとにこれを幇助したにすぎないものであつて、佐藤亀八郎らの賭博開張図利行為は被告人らの予知しなかつたものである

(証拠の標目)〈省略〉

(被告人佐藤一郎に対する確定裁判)

被告人佐藤一郎は昭和三八年九月五日大河原簡易裁判所で業務上過失傷害罪により罰金七、〇〇〇円に処せられ、該裁判は同月二九日確定したものであつて、右は同被告人に対する検察事務官作成の前科調書、同被告人の原審公判廷における供述により認められる。

(法令の適用)

被告人佐藤一郎の判示第一の(一)、(二)の各所為、同太宰常治、同梶川武の判示第二の各所為は、結果としてはいずれも本犯佐藤亀八郎らの刑法一八六条二項に当る賭博開張図利行為を幇助したことになるが、前示認定のように、被告人らはいずれも本件犯行時には右佐藤亀八郎らが賭博を行なうものとの認識のもとにこれを幇助したにすぎないものであつて、佐藤亀八郎らの賭博開張図利行為は被告人らの予知しないところであつて、軽い犯罪事実の認識のもとにこれを幇助したところ、重い犯罪事実が行なわれた場合に当るから、刑法三八条二項により軽い単純賭博の幇助罪の刑により処断することとし、同法一八五条六二条一項罰金等臨時措置法二条三条を適用し、所定刑中各罰金刑を選択した上、刑法六三条六八条四号によりそれぞれ法定の減軽をした金額の範囲内において、被告人太宰常治、同梶川武に対してはそれぞれ罰金五、〇〇〇円に処し、被告人佐藤一郎の判示第一の(一)の罪と前記確定裁判を経た罪とは同法四五条後段の併合罪であるから同法五〇条により未だ裁判を経ない右第一の(一)の罪につきさらに裁判することになるので、同被告人に対しては前示金額の範囲内において判示第一の(一)の事実につき罰金三、〇〇〇円、同(二)の事実につき罰金三、〇〇〇円に各処すべく、右各罰金不完納の場合にはそれぞれ同法一八条を適用し金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置することにし、原審および当審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用し主文末頃記載のとおり被告人佐藤一郎、同太宰常治にそれぞれ負担させることにし、なお同条一項但書により被告人梶川武に対しては原審および当審における訴訟費用は全部負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤寿郎 裁判官 小鶴弥作 裁判官 杉本正雄)

控訴趣意書

原判決は、本件公訴事実、すなわち、

第一、被告人佐藤一郎は、

(一) 昭和三八年八月六日頃、佐藤亀八郎等が白石市福岡長袋字山の下三、熊谷良子方において、賭場を開いて、佐々木春蔵外一〇名位の賭客を集め、花札を使用して金銭を賭け、俗に「アトサキ」と称する賭博を行なわせ、寺銭名義で金銭を徴収して利を図つた際、開張者側関係者の輸送、賭客の誘導案内をして、同人等の右犯行を容易にさせて、これを幇助し

(二) 同年一〇月中旬頃、右同人等が同市半沢屋敷九九の一、渋谷アパート内相原禅方二階において、賭場を開いて、西塚策郎外一〇数名の賭客を集め、花札を使用して金銭を賭け、右「アトサキ」賭博を行なわせ、寺銭名下で金銭を徴収して利を図つた際、右同様の役目をして同人等の右犯行を容易にさせて、これを幇助し

第二、被告人太宰常治、同梶川武は、佐藤亀八郎等が前記第一の(一)記載のとおりの犯行をなすに際し、いずれも賭客の案内、接待、見張りをして、その犯行を容易にさせて、これを幇助し

たものであるという事実に対し、本犯である賭博開張図利罪は、犯人が自ら主宰者となり、その支配の下に賭博をさせる場所を提供し、寺銭などの名目で利益の収得を企図することによつて成立するいわゆる目的罪であるから、これに対する幇助罪が成立するためには、その前提として幇助者において、本犯のそうした所為、目的についての認識がなければならないところ、被告人等においては、前記公訴事実にあるような行為を担当したこと、及びその際多分に賭博が行なわれるであろうということは知つていたものと認められるが、それ以上佐藤亀八郎等の賭博開張図利の所為、目的につき、認識があつたかどうかについては、まず、被告人梶川武の場合は全くこれを認める証拠がない。被告人佐藤一郎、同太宰常治の場合は、両名の検察官に対する各供述調書中、それぞれ本犯たる佐藤亀八郎等の賭博開張図利の所為、目的について認識があつたかの如き供述部分がある外、これを認める証拠けない。

本件の各証拠を総合すると、被告人等の前記各担当行為は、佐藤亀八郎との間におけるその地位、境遇から、ただ右亀八郎の命によつてその手足として機械的に動いたもので、右亀八郎等との間に、その所為、目的について意思の連絡があつたものでなく、その賭場に入つてみていた事実もうかがわれず、しかも、それまでに被告人等には殆んど賭博についての経験はもとより、見分のなかつたことも認められるので、これらの事実からすれば、被告人等において、右亀八郎等の所為、目的について認識があつたとするのは不自然であるから、前記被告人佐藤一郎、同太宰常治の右検察官に対する供述部分についても信用できない。以上から被告人等に対する前記公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、無罪であるというものである。しかし原判決の右の判示は、左の理由により証拠の証明力の判断につき、自由心証主義の範囲を逸脱し、経験則に反した心証形成をなして、事実を誤認し、その誤認が判決に影響をおよぼすことが明らかで、当然破棄されるべきものと思料する。

一、本件の背景について

被告人佐藤一郎は、後述する松葉会の組織内で、本犯である実兄亀八郎および相原禅と兄弟分の関係にあり、また被告人太宰常治、同梶川武は、いずれも右松葉会の一員で右亀八郎の若衆の立場にある(記録五七四丁、五七五丁、八九二丁より八九四丁、九一九丁、九六四丁、九六五丁)。一方本件賭場は、松葉会白石地区責任者である前記亀八郎とその幹部相原禅が共同して開催し、松葉会組織を動員のうえ、遂行されたもので、被告人等は、松葉会会員として右本犯から命ぜられ、原判決が認定しておる各役割を担当したものであること(記録八九五丁、九〇〇丁、九三九丁、九四三丁)が認められる。

ところで、白石地区松葉会は、本犯亀八郎を長とする暴力団組織で、右亀八郎は白石市、柴田郡大河原町などにおいて、バー等を経営し、団員の一部をその従業員として使用したり、或は日常団員をその経営店舗に出入りさせ、組織として常時六〇名前後の子分を掌握しているもので、被告人佐藤一郎は、前述の如く右亀八郎の実弟であるうえ、組織内では兄弟分として亀八郎の経営する前記バー経営の一部を分担し、被告人太宰常治、同梶川武は、前記組織内で、右亀八郎の若衆として常時右亀八郎方に出入りしているものであつた(記録一五二丁、一五七丁、八九二丁より八九四丁、一〇一四丁、一〇一六丁、一〇一七丁)。白石市内で賭場が開張された際、同市内がいわゆる右亀八郎の繩張りで、必ず同人が右賭場の主宰者となり、配下組織を動員して行なわれるのが普通であつた。(記録二四五丁)。賭博開張に際し、賭客に賭博場所、賭具の提供、湯茶、食事の接待等の便宜を供与する代償として、寺銭名義で賭客より金員を徴収することは社会常識であり、ことに前述の如く、被告人等は、いずれも、松葉会組織の一員で、本件賭場開張者が右亀八郎であることを了知の上、原判決の認定するような各幇助行為をしたことが明らかであるから、具体的に右亀八郎等より直接聞知等しなかつたとしても、被告人等にはそれぞれ右本犯の所為目的について認識があつたものと認むべきである。

二、被告人等の検察官に対する供述について

1 原判決は、前述の如く被告人佐藤一郎、同太宰常治の各検察官に対する供述中、亀八郎等の賭博開張図利の所為、目的について、認識があつた旨の供述記載部分は、被告人等の本件幇助行為をするに至つた経緯、亀八郎等との間にその所為、目的について意思連絡がなかつたこと、賭博の現場に入つて賭博を見ていた事実のないこと、ならびに殆んど賭博について経験はもとより、見分のない事実などから、措信できないとしている。

しかし、被告人佐藤は、検察官に対し

「相原のアパートで開かれた第一回目の賭場(前記公訴事実第一の(二)の賭場を意味する)は、その賭場を開くものが、花札を使つて『あとさき』をやり、その賭場に客を集めて博奕をやらせ『ぶた半』というて、負けた方が『ぶた』のとき賭金の半分が寺銭となり、その寺銭は賭場を開いたもののふところに入るものだということは当時話を聞いていたので判つていました。私はそのような博奕の賭客の送り迎えを自動車でするように頼まれてやつたのです。山の下に行くのは賭場(前記公訴事実第一の(一)の賭場を意味する)が開かれるのだと判りましたし、その賭場は前回述べたと同じ賭場(前記公訴事実第一の(二)の賭場を意味する)だと思いました。」

旨(記録九六七丁、九六八丁、九七五丁)供述し、公判において、裁判官より「被告人は警察、検察庁において取り調べをうけた際には、ありのままのことを述べたのですか」との発問に対し、「そうです」と答え、更に「その述べたことを調書に作成され、読み聞かされたうえ、間違いがないので署名押印したのですか」との発問に対し、「そうです」と答えている(記録三五丁)。

被告人太宰は、検察官に対し

「賭博の内容は判りませんが、客を集めて賭博をさせ、賭けた金の中から金をとつて賭博を開いたものの収入になるものであることは判つていました。私がその賭場に加勢するようになつたのは、バー白鳥などに始終遊びに行つているので相原から言われたためです。」

旨(記録九八〇丁、九八一丁)供述している。しかも、被告人佐藤一郎は、仕事の余暇に花札などをして平素遊んでいるもので(記録七九三丁)、前記公訴事実第一の(一)の賭場、すなわち、熊谷良子方の賭場には入つて見ておつた事実がある(記録七七七丁)。被告人太宰常治は、本件犯行後ではあるが、亀八郎等が開張した賭場内に出入りしている事実もある(記録二〇七丁、二〇八丁、八九九丁、九一三丁、九一五丁、九六〇丁、九八四丁)。

2 原判決は、梶川武について、本犯亀八郎等の所為、目的についての認識があつたと認める証拠は全くないと判示している。しかし、被告人梶川は、検察官に対し

「誰が主宰して開くのか詳しいことは判りませんが、身内でないものが開くのであれば、私等を使うこともないので、亀八郎等が開くものと思いました。博奕はどんな方法でやるか判りませんが、お客を集めて博奕をやらせるものでありました。そのような賭場を開くので若衆である私等を見張りや、案内に加勢させたものでありました。」

旨(記録九八九丁、九九〇丁)供述しており、更に同被告人は、本件後ではあるが、亀八郎等が開張した賭場にも出入りしている事実がある(記録二〇七丁、二〇八丁、八九九丁、九一三丁、九一五丁、九六〇丁)。

3 原判決が本犯の所為、目的につき、被告人等に認識があつたというのは不自然であるという前記判示は、前述の本件の背景を全く忘却した判断で、原判決が「被告人等と本犯佐藤亀八郎との間におけるその地位、境遇からただ右亀八郎の命によつて、その手足として機械的に動いたもので……」という判示は、松葉会組織の存在および組織の規律を前提としてはじめて判示し得ることであり、市民社会における友人関係とは全く様相を異にする反社会的団体であればこそ、組織の一員に犯罪の援助を命令的に指令し得るわけである。そうして、このような団体組織に関係のある人間が、賭場開張という反社会的行為の実態について認識をもつのは当然自明のことで、被告人等のこの認識を検察官に対し簡単に供述したものが、前記検察官調書の各記載部分である。

三、本犯の所為、目的についての認識について

1 原判決が、被告人佐藤一郎、同太宰常治の検察官に対する各供述調書中にある本犯亀八郎等の所為、目的についての認識供述部分を措信し得ないとしているのは、前記本件の背景において論述した社会常識を没却した心証形成である。右供述部分は組織の一員にとつて、ありふれた事象を簡単に供述したものである。組織外の人間がたまたま臨時に本犯より協力を依頼され、幇助行為の役割を敢行したものとは全く異なるもので、この点に着眼するならば右供述部分は、その証明力ありと判断するのが経験則で、これと異なつた判断は経験則背反の心証形成といわざるを得ない。

2 原判決が、被告人梶川武が本犯の所為、目的につき、認識があつたと認める証拠はないと判示しているが、前顕二の3において挙示した如く、同被告人は賭場の主宰者が佐藤亀八郎等であり、賭博の具体的方法は判らないにしても、相当数の客をこの賭場に集め、賭博をする便宜を亀八郎等が供与するものであることは了知していた旨述べており、この事実が判つておる限り、当然右賭場開張に要する経費を主宰者側が負担し、その代償として賭客より金銭を何等かの方法で徴収することを認識するのが社会常識である。しかも、同被告人は、前述の如く組織の一員で、たまたま臨特に本犯より協力を依頼されたものでない点に着眼するならば、なおさら右の認識をもつと考えるのが経験則である。原判決の前記判示は、この経験則に従う合理的な判断をその心証形成において、怠つたものと思料する。

3 以上原判決の被告人等に本犯の所為、目的についての認識があつたと認める証拠がないという判示は、その心証形成において採証の原則を違え、事実を誤認し、その誤認が判決に影響をおよぼすことが明らかで、当然破棄されるべきものと信ずる。

四、審理不尽

被告人等の犯行が、仮に賭博開張図利の幇助罪が成立しないとしても、少なくとも賭博の幇助罪が成立することは明白である。すなわち、賭場開張図利の幇助罪は、賭博の幇助罪を包含するものであることは、判例、学説の認めるところである(大審院大正九年(れ)第一四九九号、同年一一月四日判決)。

本件の場合、原判決の判示自体によつて被告人等が右亀八郎等の賭博行為の幇助をなしていることは朋白であり、原審がこの点について審理を尽くさず、被告人等に無罪を言渡したのは明らかに審理不尽による事実誤認の疑いがある。

以上の理由により原判決を破棄し、適正なる裁判を求めるため本件控訴の申立てにおよんだ次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例